<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>Sanca （サンカ）</title><link href="https://sanca.shopinfo.jp"></link><subtitle>楽しく、豊かに、自分らしく生きるって、意外に簡単だったんだ！</subtitle><id>https://sanca.shopinfo.jp</id><author><name>柏原七帆子の楽しく！豊かに！自分らしく生きる！って、意外にかんたん！！</name></author><updated>2019-08-09T04:43:11+00:00</updated><entry><title><![CDATA[プロフィール]]></title><link rel="alternate" href="https://sanca.shopinfo.jp/posts/6734622/"></link><id>https://sanca.shopinfo.jp/posts/6734622</id><summary><![CDATA[◆人の顔色が気になる！私は、広島県広島市に生まれました。 実家が代々事業をしていたからなのか、祖母、両親、親戚など周りの人は、世間体を気にし、 「こうあるべき」「〜すべき」「〜すべきではない」「世間は〜」「一般常識では、〜」「普通は、〜」 と、枠の中にはめられて、厳しく育てられました。 この頃からすでに、自分自身とのバランスが崩れていき、大人の顔色ばかり気にしていました。 追い討ちをかけるように、私は「ドモリ」 小学校の頃からずっと、イジメられていました。 そんなこと親にも言えず。ダメな自分を見せたくなかった。 ダメな自分を見せたら、愛してもらえない。認めてもらえない。存在価値がなくなる。 そんなことを思っていました。 この頃から、自分を守るために、一枚ずつ鎧を着ていたように思います。 ◆こんなはずではない・・・。中学は、私立の女子校に合格。これで、新しく人生を始められる・・・と、思ったのもつかの間。 私をイジメていた子達も同じ学校へ。それも、同じクラスに・・・ 「どうして、私ばかり・・・」 人生うまくいかない。初めてそう感じました。 そして、ドモリでイジメられないように、知らず知らずのうちに、自分を大きく見せようとしていました。 ◆私を見て！！もう１つ子供の頃から嫌だったことは、実家が代々会社経営をしているせいで、大人の人からは、「柏原さんのお嬢さん」と呼ばれることでした。 私は、家柄ではなく、「私自身を見て！」という気持ちが大きく、親からの世間体も嫌で、私自身を評価してもらう方法を模索した結果、「水商売」しかない！と。 そうなると、「家を出るしかない・・・」 置き手紙を残し、家出。  広島で当時、１、２を争う老舗の「会員制クラブ」へ入りました。 そこで、私は自分自身に誓いました。 「ここで変わらないと、一生変われない。　何があっても、NO.１になる」と。 しかし、世間知らず、社会の右も左も分からない私。当然失敗の連続！ お姉様達から呼び出され、大説教されたり、イジメられたり、何度泣きながら帰ったか・・・トイレで泣いたことも、数えきれず・・・  「ここで逃げたら、同じことの繰り返しになる。　早く、NO.１になって、私自身の評価を勝ち取る！」 その事だけに集中したお陰で、1年でNO.１になりました。 しかし、目標を達成して喜んでいたのもつかの間、今度は、NO.１の維持は当たり前、店の売り上げまで考えないといけない立場に。 自分自身との考えのズレに悩む毎日。  今度は、オーナーとの意見のぶつかり合いが始まり、度々円形脱毛症にもなりました。  最後は、私を思うように動かしたい！というオーナーと、自分の想う営業で、売り上げを伸ばしたい！という私の意見がぶつかり・・・  クビ！！「明日から来なくていい」と。 ◆貯金０からの起業自分でお店を持つことなど、全く考えたことのなかった私。 貯金ゼロの私が、１００％借金をして、「うまく行っても、８年で卒業！　それまでに、次のステップを見つける！」と ３０歳で自分の想いだった、「人に元気を与えるお店、明日への活力になるお店がしたい！」と、飲食店をオープンさせました。 お陰様で、多くの方から愛されるお店になりました。６年で返す借金も、３年で返し終えることができました。が、ストレス社会の加速から、飲食のお店では私の思いを叶えることは、難しくなりました。 長い試行錯誤の結果、 「こんなに儲かっているのに、何が不足なのか？」「今の時代新しいことにチャレンジするのは、バカだ！」「不景気な時代に、やったこともないし、どうなるかわからない事をはじめるときではない」と、お客様などから、散々反対されました。 しかし、当初の期限だった８年で飲食店の店を終了し、「根本改善」を目指し、広島市で、エステ・サロン「ピエロ」をオープンさせました。 ◆次への挑戦サロン勤務経験ゼロお客様ゼロ想いだけで、オープンをさせたサロン。 当然、想定外のオンパレードでした。水商売をやっていた頃とエステ・サロンのスタッフの仕事に対する考え方の違いには、驚きの連続でした。 オープン当初は、サロン経験者の店長を置いていましたが、半年くらいたった頃、「売上を上げられないので、やめたい」と・・・ 私も、資金が底をつきかけ、本格的に技術者として、サロンに出るようになったり、 スタッフが置き手紙一枚で、辞めたり、 パートの人に注意すると、「私は、時間から時間の勤務がいいので、パートになったのです」と言われたり、 スタッフが休み明けに体調を崩し休んだので、体調管理の重要性を伝えると、「一人くらい急に休んだからと言って、サロンが回らなくなるのは、オーナーの問題で、私の問題ではありません」と言われたり、 スタッフの夜遊びで、ホストクラブの人が、集金に来たり、 泥棒がはいったり・・・ 経験したことのない問題ばかりが、次々と起こりました。 ◆子供の不登校そして、サロンオープンと同じ頃、娘が不登校の引きこもりになりました。 はじめの半年は、普通のお母さんと同じように、どうしてこうなったの？どうしたらいいの？学校で何かあったの？世間の落ちこぼれになる・・・と、悩み、うろたえ、苦しみました。サロンもゴタゴタの連続。子供も問題を抱え。どうして？どうして？　と・・・。 学校の先生は、うちの子を社会不適合者として扱いました。 ◆裁判と乳がん今まで経営してきた中で、１番驚いたのは、２２歳の子に労働裁判で訴えられたことでした。 辞めるときも、診断書のFAX一枚でした。 「非定形型うつ」俗に言う、「勝手ウツ」「新型ウツ」です。 彼女が辞めて、２週間も立たない頃、労働組合という人から連絡があり、会ってみると、彼女が残業代を請求しているとのこと。 それまで、労働組合は、大手の会社にしかないと思っていました。「私のサロンには労働組合ないけど？」全くの世間知らず・・・ この時初めて、民間の労働組合があることを知りました。 彼女は、私が深夜にどうも胸騒ぎがするからと、お店に行ってみたら、サロンで寝ていたり、サロン業務終了後みんなで食事に行ったときも、食事が終わった後荷物をサロンに取りに帰ったりして、そのときにタイムカードも押していました。 要するに、みんなで行く食事会も旅行も労働時間だったわけです。当然給料に反映するわけもないのですが、1年半の勤務期間の間には、かなりの額になっていました。 後からわかったことなのですが、彼女は前の会社でも労働裁判を起こしていたようです。 ２年近く働いて労働裁判をすれば、残業代などで２年近い年収がはいる。美味しい話だったのでしょう。 この裁判に、３年かかりました。 が、当然ながら、今の日本は労働者が守られます。余程の証拠がない限り、経営者は勝てません。 スタッフを疑って、毎日証拠を残すような経営者がどこにいるでしょうか？結果は、惨敗でした。追い打ちをかけるように、乳ガン検診で引っかかり、軽い気持ちで総合病院に再検査に行きました。 結果は白とも黒とも判断がつかずで、今度は細胞検査。 その結果も白とも黒ともつかず、今度は組織検査。 その結果も白とも黒ともつかず、最後は疑いのある部位のしこりを摘出する手術をうけ、乳ガンと判明。 そして、今度は転移がないか、PEＴ検診。仙骨に転移の疑いがあると・・・ この間半年。 骨にガンがある場合、３年生存率が１０％ないとか・・・ そんなデーター上での話をドクターから延々とされ、死を間近に感じ、初めて命は限りがあるものだということを実感しました。 同じ年に、義理の妹が乳がんでなくなっていたので尚更でした。 再検査続きの半年の間も、何を見ても、何を聞いても、今度見れるかな？とか、この頃まで生きられるのかな？とか、死ぬことしか考えていませんでした。そして、死というものへの恐怖。 しかし、仙骨にガンの疑いがあると聞いた瞬間、病院に行くのをやめました。 半年間、１０数回も病院へ行ったり来たりで疲れたのと、洗脳されてしまうと思ったからです。 乳ガンの治療も、それから先は何もしていません。  この時、やりたいことをやらないと損だと本気で思いました。世間体を気にするバカバカしさを感じました。つまらないことに引っかかっている、バカバカしさを感じました。あたり前のことなど、存在しないと感じました。 裁判や乳ガン騒動で、精神的にも疲れ、スタッフを雇うことも怖くなった私は、一人でサロン経営をする覚悟をしました。 ２２歳の彼女に、私の甘さを教えられました。 そのお陰で、人に関することは全てに通じると、気づくことも出来ました。 次第に、お客様から、色々な人生相談をされたり、「なかなか予約が取りづらいサロン」と言われるまでになりました。 ◆シータヒーリングとの出会い自分の経験で、人間は精神が９割作用するのではないか？という１つの仮説に行き当たり、一見エステには関係ないような、心理学や個性心理学、パーソナルカラー、マインドマップなど、興味のあるものは学びました。 そして、シータヒーリングとも出会いました。  自分の好きなものは何だろう？今まで、人のことばかり考えていた私は、こんなことすら、分からなくなっていました。  ガンになり、死を実感して初めて気づきました。 あと１ヶ月の命なら、何がしたい？という問いにすら、人に対することしか思い浮かばず、愕然としました。  自分を喜ばすこと、自分を楽しますことが、抜けていました。人を喜ばすことが、私の喜びだと思い込んでいたことも、初めて気づきました。  自分のことが分からないのに、人にことが分かるわけない。自分が楽しむことを知らないのに、人を楽しませられるわけない。自分がバラバラなのに、人のバランスを取れるわけない。と・・・  まさに、自己不全です。自己受容が出来ていなかったのです。  シータヒーリングで、そんな自分に気づくことができました。鎧を着ていた自分に、初めて気づきました。 やりたいことが出来る人！になるということ私がまず始めたことは、「今の自分がありのままで完全」「今のままでいい」と、自分を認めること。 潜在意識の自分と向き合う日々。 それは、玉ねぎの薄皮を一枚ずつムクような、地道な作業でした。しかし、自分の人生諦めたくない。貪欲に、求めていきたい！という一心。 何度も挫折しそうな時もありました。 本当に変わっているの？と、シータヒーリングの効果を疑ったことも。  でも、諦めきれなかった。 もう1人の私が、「もういい加減にしてよ！」「こんな生活いい加減にしてよ！」と、叫んでいた。 その心の声に素直に従い、本当の私の人生を生きてみたかった。これが、正直な気持ちです。  今どんな状態でも、自分の人生諦めずに努力し続ける人は、努力の方向が間違っていなければ、その理想にたどり着けます。  私の本当にやりたかったことにたどり着けたのも、お客様と過去の経験のおかげです。 人のことばかり気にしていた日々、イジメられていた日々、いつも何かと戦っていた日々、困難ばかりが降りかかっていた日々、心と体がバラバラで鎧兜を着ていた日々、スタッフとうまく行かなかった日々、人を攻めるばかりの日々、求めるばかりの日々、何がしたいのかわからなかった日々、模索していた日々、死と直面し、死に怯えていた日々。 そんな日々があったからこそ、そういう状況の人たちの立場に立つことが出来ます。 そして「どうすればいいのか？」を一緒に考えることが出来ます。 一緒に「やりたいことが出来る」人へ成長するために。 結局・・・いくら憧れても、いくら考えても、いくら行動しても、自分1人では叶えることはできませんでした。 たくさんの人に出会えたからこそ、実現することができたのです。 だから、これからもたくさんの人達の幸せに貢献するために、伝え続けます。  そして、「やりたいことが出来る人」になることで、前を向いて自分の人生諦めずに、歩いて行く人たちを増やしていきます。]]></summary><author><name>柏原七帆子の楽しく！豊かに！自分らしく生きる！って、意外にかんたん！！</name></author><published>2019-08-09T04:43:11+00:00</published><updated>2019-08-09T04:43:54+00:00</updated><content 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			<div>◆人の顔色が気になる！</div><div>私は、広島県広島市に生まれました。</div><div>&nbsp;</div><div>実家が代々事業をしていたからなのか、</div><div>祖母、両親、親戚など周りの人は、</div><div>世間体を気にし、</div><div>&nbsp;</div><div>「こうあるべき」</div><div>「〜すべき」</div><div>「〜すべきではない」</div><div>「世間は〜」</div><div>「一般常識では、〜」</div><div>「普通は、〜」</div><div>&nbsp;</div><div>と、枠の中にはめられて、</div><div>厳しく育てられました。</div><div>&nbsp;</div><div>この頃からすでに、</div><div>自分自身とのバランスが崩れていき、</div><div>大人の顔色ばかり気にしていました。</div><div>&nbsp;</div><div>追い討ちをかけるように、</div><div>私は「ドモリ」</div><div>&nbsp;</div><div>小学校の頃からずっと、</div><div>イジメられていました。</div><div>&nbsp;</div><div>そんなこと親にも言えず。</div><div>ダメな自分を見せたくなかった。</div><div>&nbsp;</div><div>ダメな自分を見せたら、</div><div>愛してもらえない。</div><div>認めてもらえない。</div><div>存在価値がなくなる。</div><div>&nbsp;</div><div>そんなことを思っていました。</div><div>&nbsp;</div><div>この頃から、</div><div>自分を守るために、</div><div>一枚ずつ鎧を着ていたように思います。</div><div>&nbsp;</div><div>◆こんなはずではない・・・。</div><div>中学は、私立の女子校に合格。</div><div>これで、新しく人生を始められる・・・</div><div>と、思ったのもつかの間。</div><div>&nbsp;</div><div>私をイジメていた子達も同じ学校へ。</div><div>それも、同じクラスに・・・</div><div>&nbsp;</div><div>「どうして、私ばかり・・・」</div><div>&nbsp;</div><div>人生うまくいかない。</div><div>初めてそう感じました。</div><div>&nbsp;</div><div>そして、ドモリでイジメられないように、</div><div>知らず知らずのうちに、</div><div>自分を大きく見せようとしていました。</div><div>&nbsp;</div><div>◆私を見て！！</div><div>もう１つ子供の頃から嫌だったことは、</div><div>実家が代々会社経営をしているせいで、</div><div>大人の人からは、</div><div>「柏原さんのお嬢さん」と</div><div>呼ばれることでした。</div><div>&nbsp;</div><div>私は、家柄ではなく、</div><div>「私自身を見て！」</div><div>という気持ちが大きく、</div><div>親からの世間体も嫌で、</div><div>私自身を評価してもらう方法を模索した結果、</div><div>「水商売」しかない！と。</div><div>&nbsp;</div><div>そうなると、</div><div>「家を出るしかない・・・」</div><div>&nbsp;</div><div>置き手紙を残し、家出。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>広島で当時、１、２を争う老舗の「会員制クラブ」へ入りました。</div><div>&nbsp;</div><div>そこで、私は自分自身に誓いました。</div><div>&nbsp;</div><div>「ここで変わらないと、一生変われない。</div><div>　何があっても、NO.１になる」と。</div><div>&nbsp;</div><div>しかし、世間知らず、社会の右も左も分からない私。</div><div>当然失敗の連続！</div><div>&nbsp;</div><div>お姉様達から呼び出され、</div><div>大説教されたり、イジメられたり、</div><div>何度泣きながら帰ったか・・・</div><div>トイレで泣いたことも、数えきれず・・・</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>「ここで逃げたら、同じことの繰り返しになる。</div><div>　早く、NO.１になって、私自身の評価を勝ち取る！」</div><div>&nbsp;</div><div>その事だけに集中したお陰で、1年でNO.１になりました。</div><div>&nbsp;</div><div>しかし、目標を達成して喜んでいたのもつかの間、</div><div>今度は、NO.１の維持は当たり前、</div><div>店の売り上げまで考えないといけない立場に。</div><div>&nbsp;</div><div>自分自身との考えのズレに悩む毎日。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>今度は、オーナーとの意見のぶつかり合いが始まり、</div><div>度々円形脱毛症にもなりました。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>最後は、私を思うように動かしたい！</div><div>というオーナーと、</div><div>自分の想う営業で、売り上げを伸ばしたい！</div><div>という私の意見がぶつかり・・・</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>クビ！！</div><div>「明日から来なくていい」と。</div><div>&nbsp;</div><div>◆貯金０からの起業</div><div>自分でお店を持つことなど、</div><div>全く考えたことのなかった私。</div><div>&nbsp;</div><div>貯金ゼロの私が、</div><div>１００％借金をして、</div><div>「うまく行っても、８年で卒業！</div><div>　それまでに、次のステップを見つける！」と</div><div>&nbsp;</div><div>３０歳で自分の想いだった、</div><div>「人に元気を与えるお店、明日への活力になるお店がしたい！」と、</div><div>飲食店をオープンさせました。</div><div>&nbsp;</div><div>お陰様で、多くの方から愛されるお店になりました。</div><div>６年で返す借金も、３年で返し終えることができました。</div><div>が、ストレス社会の加速から、</div><div>飲食のお店では私の思いを叶えることは、難しくなりました。</div><div>&nbsp;</div><div>長い試行錯誤の結果、</div><div>&nbsp;</div><div>「こんなに儲かっているのに、何が不足なのか？」</div><div>「今の時代新しいことにチャレンジするのは、バカだ！」</div><div>「不景気な時代に、やったこともないし、</div><div>どうなるかわからない事をはじめるときではない」と、</div><div>お客様などから、散々反対されました。</div><div>&nbsp;</div><div>しかし、当初の期限だった８年で飲食店の店を終了し、</div><div>「根本改善」を目指し、</div><div>広島市で、エステ・サロン「ピエロ」をオープンさせました。</div><div>&nbsp;</div><div>◆次への挑戦</div><div>サロン勤務経験ゼロ</div><div>お客様ゼロ</div><div>想いだけで、オープンをさせたサロン。</div><div>&nbsp;</div><div>当然、想定外のオンパレードでした。</div><div>水商売をやっていた頃と</div><div>エステ・サロンのスタッフの仕事に対する考え方の違いには、</div><div>驚きの連続でした。</div><div>&nbsp;</div><div>オープン当初は、サロン経験者の店長を置いていましたが、</div><div>半年くらいたった頃、「売上を上げられないので、やめたい」と・・・</div><div>&nbsp;</div><div>私も、資金が底をつきかけ、</div><div>本格的に技術者として、サロンに出るようになったり、</div><div>&nbsp;</div><div>スタッフが置き手紙一枚で、辞めたり、</div><div>&nbsp;</div><div>パートの人に注意すると、</div><div>「私は、時間から時間の勤務がいいので、パートになったのです」</div><div>と言われたり、</div><div>&nbsp;</div><div>スタッフが休み明けに体調を崩し休んだので、</div><div>体調管理の重要性を伝えると、</div><div>「一人くらい急に休んだからと言って、サロンが回らなくなるのは、</div><div>オーナーの問題で、私の問題ではありません」</div><div>と言われたり、</div><div>&nbsp;</div><div>スタッフの夜遊びで、ホストクラブの人が、集金に来たり、</div><div>&nbsp;</div><div>泥棒がはいったり・・・</div><div>&nbsp;</div><div>経験したことのない問題ばかりが、次々と起こりました。</div><div>&nbsp;</div><div>◆子供の不登校</div><div>そして、サロンオープンと同じ頃、</div><div>娘が不登校の引きこもりになりました。</div><div>&nbsp;</div><div>はじめの半年は、普通のお母さんと同じように、</div><div>どうしてこうなったの？</div><div>どうしたらいいの？</div><div>学校で何かあったの？</div><div>世間の落ちこぼれになる・・・と、悩み、うろたえ、苦しみました。</div><div>サロンもゴタゴタの連続。</div><div>子供も問題を抱え。</div><div>どうして？</div><div>どうして？　と・・・。</div><div>&nbsp;</div><div>学校の先生は、</div><div>うちの子を社会不適合者として扱いました。</div><div>&nbsp;</div><div>◆裁判と乳がん</div><div>今まで経営してきた中で、１番驚いたのは、</div><div>２２歳の子に労働裁判で訴えられたことでした。</div><div>&nbsp;</div><div>辞めるときも、診断書のFAX一枚でした。</div><div>&nbsp;</div><div>「非定形型うつ」</div><div>俗に言う、「勝手ウツ」「新型ウツ」です。</div><div>&nbsp;</div><div>彼女が辞めて、２週間も立たない頃、</div><div>労働組合という人から連絡があり、会ってみると、</div><div>彼女が残業代を請求しているとのこと。</div><div>&nbsp;</div><div>それまで、労働組合は、大手の会社にしかないと思っていました。</div><div>「私のサロンには労働組合ないけど？」</div><div>全くの世間知らず・・・</div><div>&nbsp;</div><div>この時初めて、民間の労働組合があることを知りました。</div><div>&nbsp;</div><div>彼女は、私が深夜にどうも胸騒ぎがするからと、</div><div>お店に行ってみたら、サロンで寝ていたり、</div><div>サロン業務終了後みんなで食事に行ったときも、</div><div>食事が終わった後荷物をサロンに取りに帰ったりして、</div><div>そのときにタイムカードも押していました。</div><div>&nbsp;</div><div>要するに、みんなで行く食事会も旅行も労働時間だったわけです。</div><div>当然給料に反映するわけもないのですが、</div><div>1年半の勤務期間の間には、かなりの額になっていました。</div><div>&nbsp;</div><div>後からわかったことなのですが、</div><div>彼女は前の会社でも労働裁判を起こしていたようです。</div><div>&nbsp;</div><div>２年近く働いて労働裁判をすれば、残業代などで２年近い年収がはいる。</div><div>美味しい話だったのでしょう。</div><div>&nbsp;</div><div>この裁判に、３年かかりました。</div><div>&nbsp;</div><div>が、当然ながら、今の日本は労働者が守られます。</div><div>余程の証拠がない限り、経営者は勝てません。</div><div>&nbsp;</div><div>スタッフを疑って、</div><div>毎日証拠を残すような経営者がどこにいるでしょうか？</div><div>結果は、惨敗でした。</div><div>追い打ちをかけるように、</div><div>乳ガン検診で引っかかり、</div><div>軽い気持ちで総合病院に再検査に行きました。</div><div>&nbsp;</div><div>結果は白とも黒とも判断がつかずで、</div><div>今度は細胞検査。</div><div>&nbsp;</div><div>その結果も白とも黒ともつかず、</div><div>今度は組織検査。</div><div>&nbsp;</div><div>その結果も白とも黒ともつかず、</div><div>最後は疑いのある部位のしこりを摘出する手術をうけ、</div><div>乳ガンと判明。</div><div>&nbsp;</div><div>そして、今度は転移がないか、PEＴ検診。</div><div>仙骨に転移の疑いがあると・・・</div><div>&nbsp;</div><div>この間半年。</div><div>&nbsp;</div><div>骨にガンがある場合、３年生存率が１０％ないとか・・・</div><div>&nbsp;</div><div>そんなデーター上での話をドクターから延々とされ、</div><div>死を間近に感じ、</div><div>初めて命は限りがあるものだということを実感しました。</div><div>&nbsp;</div><div>同じ年に、義理の妹が乳がんでなくなっていたので尚更でした。</div><div>&nbsp;</div><div>再検査続きの半年の間も、</div><div>何を見ても、何を聞いても、今度見れるかな？とか、</div><div>この頃まで生きられるのかな？とか、</div><div>死ぬことしか考えていませんでした。</div><div>そして、死というものへの恐怖。</div><div>&nbsp;</div><div>しかし、仙骨にガンの疑いがあると聞いた瞬間、</div><div>病院に行くのをやめました。</div><div>&nbsp;</div><div>半年間、１０数回も病院へ行ったり来たりで疲れたのと、</div><div>洗脳されてしまうと思ったからです。</div><div>&nbsp;</div><div>乳ガンの治療も、それから先は何もしていません。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>この時、やりたいことをやらないと損だと本気で思いました。</div><div>世間体を気にするバカバカしさを感じました。</div><div>つまらないことに引っかかっている、バカバカしさを感じました。</div><div>あたり前のことなど、存在しないと感じました。</div><div>&nbsp;</div><div>裁判や乳ガン騒動で、精神的にも疲れ、</div><div>スタッフを雇うことも怖くなった私は、</div><div>一人でサロン経営をする覚悟をしました。</div><div>&nbsp;</div><div>２２歳の彼女に、私の甘さを教えられました。</div><div>&nbsp;</div><div>そのお陰で、人に関することは全てに通じると、</div><div>気づくことも出来ました。</div><div>&nbsp;</div><div>次第に、お客様から、色々な人生相談をされたり、</div><div>「なかなか予約が取りづらいサロン」</div><div>と言われるまでになりました。</div><div>&nbsp;</div><div>◆シータヒーリングとの出会い</div><div>自分の経験で、</div><div>人間は精神が９割作用するのではないか？</div><div>という１つの仮説に行き当たり、</div><div>一見エステには関係ないような、</div><div>心理学や個性心理学、パーソナルカラー、</div><div>マインドマップなど、興味のあるものは</div><div>学びました。</div><div>&nbsp;</div><div>そして、</div><div>シータヒーリングとも出会いました。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>自分の好きなものは何だろう？</div><div>今まで、人のことばかり考えていた私は、</div><div>こんなことすら、分からなくなっていました。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>ガンになり、死を実感して初めて気づきました。</div><div>&nbsp;</div><div>あと１ヶ月の命なら、何がしたい？</div><div>という問いにすら、人に対することしか</div><div>思い浮かばず、愕然としました。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>自分を喜ばすこと、</div><div>自分を楽しますことが、抜けていました。</div><div>人を喜ばすことが、私の喜びだと思い込んでいたことも、</div><div>初めて気づきました。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>自分のことが分からないのに、人にことが分かるわけない。</div><div>自分が楽しむことを知らないのに、</div><div>人を楽しませられるわけない。</div><div>自分がバラバラなのに、</div><div>人のバランスを取れるわけない。</div><div>と・・・</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>まさに、自己不全です。</div><div>自己受容が出来ていなかったのです。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>シータヒーリングで、そんな自分に気づくことができました。</div><div>鎧を着ていた自分に、初めて気づきました。</div><div>&nbsp;</div><div>やりたいことが出来る人！になるということ</div><div>私がまず始めたことは、</div><div>「今の自分がありのままで完全」</div><div>「今のままでいい」と、</div><div>自分を認めること。</div><div>&nbsp;</div><div>潜在意識の自分と向き合う日々。</div><div>&nbsp;</div><div>それは、玉ねぎの薄皮を一枚ずつムクような、</div><div>地道な作業でした。</div><div>しかし、自分の人生諦めたくない。</div><div>貪欲に、求めていきたい！という一心。</div><div>&nbsp;</div><div>何度も挫折しそうな時もありました。</div><div>&nbsp;</div><div>本当に変わっているの？</div><div>と、シータヒーリングの効果を疑ったことも。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>でも、諦めきれなかった。</div><div>&nbsp;</div><div>もう1人の私が、</div><div>「もういい加減にしてよ！」</div><div>「こんな生活いい加減にしてよ！」</div><div>と、叫んでいた。</div><div>&nbsp;</div><div>その心の声に素直に従い、</div><div>本当の私の人生を生きてみたかった。</div><div>これが、正直な気持ちです。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>今どんな状態でも、</div><div>自分の人生諦めずに努力し続ける人は、</div><div>努力の方向が間違っていなければ、</div><div>その理想にたどり着けます。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>私の本当にやりたかったことにたどり着けたのも、</div><div>お客様と過去の経験のおかげです。</div><div>&nbsp;</div><div>人のことばかり気にしていた日々、</div><div>イジメられていた日々、</div><div>いつも何かと戦っていた日々、</div><div>困難ばかりが降りかかっていた日々、</div><div>心と体がバラバラで鎧兜を着ていた日々、</div><div>スタッフとうまく行かなかった日々、</div><div>人を攻めるばかりの日々、</div><div>求めるばかりの日々、</div><div>何がしたいのかわからなかった日々、</div><div>模索していた日々、</div><div>死と直面し、死に怯えていた日々。</div><div>&nbsp;</div><div>そんな日々があったからこそ、</div><div>そういう状況の人たちの立場に立つことが出来ます。</div><div>&nbsp;</div><div>そして「どうすればいいのか？」を一緒に考えることが出来ます。</div><div>&nbsp;</div><div>一緒に「やりたいことが出来る」人へ成長するために。</div><div>&nbsp;</div><div>結局・・・</div><div>いくら憧れても、いくら考えても、</div><div>いくら行動しても、</div><div>自分1人では叶えることはできませんでした。</div><div>&nbsp;</div><div>たくさんの人に出会えたからこそ、</div><div>実現することができたのです。</div><div>&nbsp;</div><div>だから、これからもたくさんの人達の幸せに貢献するために、</div><div>伝え続けます。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>そして、</div><div>「やりたいことが出来る人」になることで、</div><div>前を向いて自分の人生諦めずに、</div><div>歩いて行く人たちを増やしていきます。</div><div><br></div>
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