プロフィール

◆人の顔色が気になる!
私は、広島県広島市に生まれました。
 
実家が代々事業をしていたからなのか、
祖母、両親、親戚など周りの人は、
世間体を気にし、
 
「こうあるべき」
「〜すべき」
「〜すべきではない」
「世間は〜」
「一般常識では、〜」
「普通は、〜」
 
と、枠の中にはめられて、
厳しく育てられました。
 
この頃からすでに、
自分自身とのバランスが崩れていき、
大人の顔色ばかり気にしていました。
 
追い討ちをかけるように、
私は「ドモリ」
 
小学校の頃からずっと、
イジメられていました。
 
そんなこと親にも言えず。
ダメな自分を見せたくなかった。
 
ダメな自分を見せたら、
愛してもらえない。
認めてもらえない。
存在価値がなくなる。
 
そんなことを思っていました。
 
この頃から、
自分を守るために、
一枚ずつ鎧を着ていたように思います。
 
◆こんなはずではない・・・。
中学は、私立の女子校に合格。
これで、新しく人生を始められる・・・
と、思ったのもつかの間。
 
私をイジメていた子達も同じ学校へ。
それも、同じクラスに・・・
 
「どうして、私ばかり・・・」
 
人生うまくいかない。
初めてそう感じました。
 
そして、ドモリでイジメられないように、
知らず知らずのうちに、
自分を大きく見せようとしていました。
 
◆私を見て!!
もう1つ子供の頃から嫌だったことは、
実家が代々会社経営をしているせいで、
大人の人からは、
「柏原さんのお嬢さん」と
呼ばれることでした。
 
私は、家柄ではなく、
「私自身を見て!」
という気持ちが大きく、
親からの世間体も嫌で、
私自身を評価してもらう方法を模索した結果、
「水商売」しかない!と。
 
そうなると、
「家を出るしかない・・・」
 
置き手紙を残し、家出。
 
 
広島で当時、1、2を争う老舗の「会員制クラブ」へ入りました。
 
そこで、私は自分自身に誓いました。
 
「ここで変わらないと、一生変われない。
 何があっても、NO.1になる」と。
 
しかし、世間知らず、社会の右も左も分からない私。
当然失敗の連続!
 
お姉様達から呼び出され、
大説教されたり、イジメられたり、
何度泣きながら帰ったか・・・
トイレで泣いたことも、数えきれず・・・
 
 
「ここで逃げたら、同じことの繰り返しになる。
 早く、NO.1になって、私自身の評価を勝ち取る!」
 
その事だけに集中したお陰で、1年でNO.1になりました。
 
しかし、目標を達成して喜んでいたのもつかの間、
今度は、NO.1の維持は当たり前、
店の売り上げまで考えないといけない立場に。
 
自分自身との考えのズレに悩む毎日。
 
 
今度は、オーナーとの意見のぶつかり合いが始まり、
度々円形脱毛症にもなりました。
 
 
最後は、私を思うように動かしたい!
というオーナーと、
自分の想う営業で、売り上げを伸ばしたい!
という私の意見がぶつかり・・・
 
 
クビ!!
「明日から来なくていい」と。
 
◆貯金0からの起業
自分でお店を持つことなど、
全く考えたことのなかった私。
 
貯金ゼロの私が、
100%借金をして、
「うまく行っても、8年で卒業!
 それまでに、次のステップを見つける!」と
 
30歳で自分の想いだった、
「人に元気を与えるお店、明日への活力になるお店がしたい!」と、
飲食店をオープンさせました。
 
お陰様で、多くの方から愛されるお店になりました。
6年で返す借金も、3年で返し終えることができました。
が、ストレス社会の加速から、
飲食のお店では私の思いを叶えることは、難しくなりました。
 
長い試行錯誤の結果、
 
「こんなに儲かっているのに、何が不足なのか?」
「今の時代新しいことにチャレンジするのは、バカだ!」
「不景気な時代に、やったこともないし、
どうなるかわからない事をはじめるときではない」と、
お客様などから、散々反対されました。
 
しかし、当初の期限だった8年で飲食店の店を終了し、
「根本改善」を目指し、
広島市で、エステ・サロン「ピエロ」をオープンさせました。
 
◆次への挑戦
サロン勤務経験ゼロ
お客様ゼロ
想いだけで、オープンをさせたサロン。
 
当然、想定外のオンパレードでした。
水商売をやっていた頃と
エステ・サロンのスタッフの仕事に対する考え方の違いには、
驚きの連続でした。
 
オープン当初は、サロン経験者の店長を置いていましたが、
半年くらいたった頃、「売上を上げられないので、やめたい」と・・・
 
私も、資金が底をつきかけ、
本格的に技術者として、サロンに出るようになったり、
 
スタッフが置き手紙一枚で、辞めたり、
 
パートの人に注意すると、
「私は、時間から時間の勤務がいいので、パートになったのです」
と言われたり、
 
スタッフが休み明けに体調を崩し休んだので、
体調管理の重要性を伝えると、
「一人くらい急に休んだからと言って、サロンが回らなくなるのは、
オーナーの問題で、私の問題ではありません」
と言われたり、
 
スタッフの夜遊びで、ホストクラブの人が、集金に来たり、
 
泥棒がはいったり・・・
 
経験したことのない問題ばかりが、次々と起こりました。
 
◆子供の不登校
そして、サロンオープンと同じ頃、
娘が不登校の引きこもりになりました。
 
はじめの半年は、普通のお母さんと同じように、
どうしてこうなったの?
どうしたらいいの?
学校で何かあったの?
世間の落ちこぼれになる・・・と、悩み、うろたえ、苦しみました。
サロンもゴタゴタの連続。
子供も問題を抱え。
どうして?
どうして? と・・・。
 
学校の先生は、
うちの子を社会不適合者として扱いました。
 
◆裁判と乳がん
今まで経営してきた中で、1番驚いたのは、
22歳の子に労働裁判で訴えられたことでした。
 
辞めるときも、診断書のFAX一枚でした。
 
「非定形型うつ」
俗に言う、「勝手ウツ」「新型ウツ」です。
 
彼女が辞めて、2週間も立たない頃、
労働組合という人から連絡があり、会ってみると、
彼女が残業代を請求しているとのこと。
 
それまで、労働組合は、大手の会社にしかないと思っていました。
「私のサロンには労働組合ないけど?」
全くの世間知らず・・・
 
この時初めて、民間の労働組合があることを知りました。
 
彼女は、私が深夜にどうも胸騒ぎがするからと、
お店に行ってみたら、サロンで寝ていたり、
サロン業務終了後みんなで食事に行ったときも、
食事が終わった後荷物をサロンに取りに帰ったりして、
そのときにタイムカードも押していました。
 
要するに、みんなで行く食事会も旅行も労働時間だったわけです。
当然給料に反映するわけもないのですが、
1年半の勤務期間の間には、かなりの額になっていました。
 
後からわかったことなのですが、
彼女は前の会社でも労働裁判を起こしていたようです。
 
2年近く働いて労働裁判をすれば、残業代などで2年近い年収がはいる。
美味しい話だったのでしょう。
 
この裁判に、3年かかりました。
 
が、当然ながら、今の日本は労働者が守られます。
余程の証拠がない限り、経営者は勝てません。
 
スタッフを疑って、
毎日証拠を残すような経営者がどこにいるでしょうか?
結果は、惨敗でした。
追い打ちをかけるように、
乳ガン検診で引っかかり、
軽い気持ちで総合病院に再検査に行きました。
 
結果は白とも黒とも判断がつかずで、
今度は細胞検査。
 
その結果も白とも黒ともつかず、
今度は組織検査。
 
その結果も白とも黒ともつかず、
最後は疑いのある部位のしこりを摘出する手術をうけ、
乳ガンと判明。
 
そして、今度は転移がないか、PET検診。
仙骨に転移の疑いがあると・・・
 
この間半年。
 
骨にガンがある場合、3年生存率が10%ないとか・・・
 
そんなデーター上での話をドクターから延々とされ、
死を間近に感じ、
初めて命は限りがあるものだということを実感しました。
 
同じ年に、義理の妹が乳がんでなくなっていたので尚更でした。
 
再検査続きの半年の間も、
何を見ても、何を聞いても、今度見れるかな?とか、
この頃まで生きられるのかな?とか、
死ぬことしか考えていませんでした。
そして、死というものへの恐怖。
 
しかし、仙骨にガンの疑いがあると聞いた瞬間、
病院に行くのをやめました。
 
半年間、10数回も病院へ行ったり来たりで疲れたのと、
洗脳されてしまうと思ったからです。
 
乳ガンの治療も、それから先は何もしていません。
 
 
この時、やりたいことをやらないと損だと本気で思いました。
世間体を気にするバカバカしさを感じました。
つまらないことに引っかかっている、バカバカしさを感じました。
あたり前のことなど、存在しないと感じました。
 
裁判や乳ガン騒動で、精神的にも疲れ、
スタッフを雇うことも怖くなった私は、
一人でサロン経営をする覚悟をしました。
 
22歳の彼女に、私の甘さを教えられました。
 
そのお陰で、人に関することは全てに通じると、
気づくことも出来ました。
 
次第に、お客様から、色々な人生相談をされたり、
「なかなか予約が取りづらいサロン」
と言われるまでになりました。
 
◆シータヒーリングとの出会い
自分の経験で、
人間は精神が9割作用するのではないか?
という1つの仮説に行き当たり、
一見エステには関係ないような、
心理学や個性心理学、パーソナルカラー、
マインドマップなど、興味のあるものは
学びました。
 
そして、
シータヒーリングとも出会いました。
 
 
自分の好きなものは何だろう?
今まで、人のことばかり考えていた私は、
こんなことすら、分からなくなっていました。
 
 
ガンになり、死を実感して初めて気づきました。
 
あと1ヶ月の命なら、何がしたい?
という問いにすら、人に対することしか
思い浮かばず、愕然としました。
 
 
自分を喜ばすこと、
自分を楽しますことが、抜けていました。
人を喜ばすことが、私の喜びだと思い込んでいたことも、
初めて気づきました。
 
 
自分のことが分からないのに、人にことが分かるわけない。
自分が楽しむことを知らないのに、
人を楽しませられるわけない。
自分がバラバラなのに、
人のバランスを取れるわけない。
と・・・
 
 
まさに、自己不全です。
自己受容が出来ていなかったのです。
 
 
シータヒーリングで、そんな自分に気づくことができました。
鎧を着ていた自分に、初めて気づきました。
 
やりたいことが出来る人!になるということ
私がまず始めたことは、
「今の自分がありのままで完全」
「今のままでいい」と、
自分を認めること。
 
潜在意識の自分と向き合う日々。
 
それは、玉ねぎの薄皮を一枚ずつムクような、
地道な作業でした。
しかし、自分の人生諦めたくない。
貪欲に、求めていきたい!という一心。
 
何度も挫折しそうな時もありました。
 
本当に変わっているの?
と、シータヒーリングの効果を疑ったことも。
 
 
でも、諦めきれなかった。
 
もう1人の私が、
「もういい加減にしてよ!」
「こんな生活いい加減にしてよ!」
と、叫んでいた。
 
その心の声に素直に従い、
本当の私の人生を生きてみたかった。
これが、正直な気持ちです。
 
 
今どんな状態でも、
自分の人生諦めずに努力し続ける人は、
努力の方向が間違っていなければ、
その理想にたどり着けます。
 
 
私の本当にやりたかったことにたどり着けたのも、
お客様と過去の経験のおかげです。
 
人のことばかり気にしていた日々、
イジメられていた日々、
いつも何かと戦っていた日々、
困難ばかりが降りかかっていた日々、
心と体がバラバラで鎧兜を着ていた日々、
スタッフとうまく行かなかった日々、
人を攻めるばかりの日々、
求めるばかりの日々、
何がしたいのかわからなかった日々、
模索していた日々、
死と直面し、死に怯えていた日々。
 
そんな日々があったからこそ、
そういう状況の人たちの立場に立つことが出来ます。
 
そして「どうすればいいのか?」を一緒に考えることが出来ます。
 
一緒に「やりたいことが出来る」人へ成長するために。
 
結局・・・
いくら憧れても、いくら考えても、
いくら行動しても、
自分1人では叶えることはできませんでした。
 
たくさんの人に出会えたからこそ、
実現することができたのです。
 
だから、これからもたくさんの人達の幸せに貢献するために、
伝え続けます。
 
 
そして、
「やりたいことが出来る人」になることで、
前を向いて自分の人生諦めずに、
歩いて行く人たちを増やしていきます。

Sanca (サンカ)

楽しく、豊かに、自分らしく生きるって、意外に簡単だったんだ!

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